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 今日は台湾の伝統芸能―歌仔戯(グァーヒ)を紹介します。

 グァーヒとは、台湾で生まれた唯一の伝統芸能と言われ、台湾オペラとも呼ばれる。歌仔戯の漢字を直接翻訳の意味は、“歌-ドラマ”である。
 グァーヒはほぼ台湾語で、文言と口語を混用し、庶民でも文学や物語が知られるように、昔の台湾社会のメジャーレジャーである。
歴史
 グァーヒは台湾の東北部の宜蘭(イラン)地方で約日本統治時代の西暦1900年くらいに生まれ、五や七の四句体の形、方言で物語を語る。最初は歌うだけで、そして俳優や動作、音楽が付いてドラマになり、さらに服装や役を足すと、オペラの形になる。
 グァーヒはオペラの形になってから、1925年に福建(ホッケン)、1927年にマレーシア、 シンガポール 、フィリピンなど、東南アジアに華僑がいるところに至っていた。
日中戦争期間、日本政府は皇民化教育を更に強化し、その伝統的な劇を禁止し、グァーヒの俳優たちは着物を着させられ、日本刀を持たされ、日本の軍歌を歌わされ、政策を宣伝させられ、胡撇仔(ホペア、日本語のオペラ由来)という一つ劇の形ができた。
 1945年、太平洋戦争が終わり、国民政府(国民党)が台湾を統治し、1947年に“国語運動”(中国語を話す運動)を始め、政府は劇の種類を限定する。五十年代、反共主義の政策を提出し、“グァーヒ改良会”など組織が出来、反共主義の劇を作った。そして、本来の劇を更に禁止し、ほぼ忠義を強調する劇だけ演出が許可され、反共主義の劇もどんどん作られた。
 1971年、政府は国語強化計画を提出、1973年教育部(日本なら文部科学省)は国語を広げ政策、1976年テレビ放送法を作り、台湾語の番組が制限され、中国語グァーヒまで作らされた。
 八十年代、台湾の地元意識が段々甦、舞台に登り、国家戯劇院(国立劇場)や各地の文化センターでも演出している。
主な役
 グァーヒの主な役は生、旦、丑と分類されている。生(シェン)は男性の役で、小生(シァオシェン、主役)、老生(ラォシェン、老け役)、反生(ファンシェン、悪役)など、旦(ダン)は女性の役で、老旦(ラォダン、ほぼ主役のお嫁さんで、威厳がある役)苦旦(クダン、悲しい役)など、丑はお笑いなどある。
舞台などの特徴
 舞台は劇の一部である。グァーヒはよく道具でものを象徴する。例えば、柵や橋は椅子に、火は赤旗に、水や川は青旗に、風は黒旗に替わる。
 また、よく出る一場面は入場や退場、山を引っ張る、回って歩く、膝で歩く、小さな動作、髪を抛って回る、ゾンビの跳び、水の袖(長い袖)などある。
グァーヒの音楽
 普通グァーヒにはバンドが付いている。そのバンドは月琴(げっきん)、二胡(にこ)、笛、ソウナ、太鼓、ゴングなど楽器が使われて演奏する。

これで台湾の伝統芸能―グァーヒを大雑把に紹介した。

参考資料:ウィキペディア―歌仔戯(中国語)


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